失踪事件

215 :名無しさん@涙目です。(東日本) :2011/08/02(火) 01:00:13.57 ID:5oUYHtnP0 

詳しくは覚えてないから何の事件か思い出せないけど、
母親と子供が遊んでるのを固定したホームカメラで撮ってて、
母親が席を外した時に、
夏だってのに全身黒ずくめの長袖の、ものスゴイ髪の長い女が笑いながら走って来て、
そのまま子供連れ去って行くっての誰か知らない? 
その後戻って来た母親が子供探してるって映像。

何年か前の未解決スレでその書き込み見て、本当に鳥肌がたったんだけど、
正直俺も今改めて書き込んでてまた怖くなっきた。


これが見つからない 


42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/17(水) 18:51:18.15 ID:goErVg5T0

>>40 
こんなのは存在しない、ってレスみたことあるけど、あるなら見たいなー 


43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/17(水) 18:51:50.32 ID:NYWr5amv0

>>40 
ググってるけど見つからないなあ 




51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/17(水) 19:04:15.95 ID:NYWr5amv0


>>40の似た様な事件だとこれかな 
全く関係ないだろうけど 

松岡伸矢くん行方不明事件(1989)   

●松岡さん一家が茨城から帰省先の親戚宅(徳島)に到着。   
松岡さんが抱いていた次男を奥さんに渡そうと家に入る。   
このとき伸矢くんが家の玄関先にいたのは間違いない。   
そして玄関先に戻ってみるとそこにいるはずの伸矢くんの姿がなかった。   
目の前の玄関先で伸矢くんの存在を確認して次に姿が消えるまで、この間わずか「40秒」。  
他の失踪事件と違い、親と子が離れてから1分すら経過していない。   
第一、父がすぐそばにいた。消えたのが家の玄関先。 
まさに神隠しと言わんばかりの失踪事件である。


228 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/08/05(火) 08:18:43.93 ID:U9QuwHYc0

【松岡伸矢(当時4歳、男) 徳島・美馬郡貞光町・H1年3月7日】 
親類宅の前で、父親が目を離した20秒(40秒?)の間に姿を消す。 
1989年の3月5日、圭子さんの実母が急死し、6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。 
そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町の圭子さんの親戚宅を訪れ、この日はここに泊まった。 
翌7日午前8時頃、正伸さんは3人の兄弟と従兄弟の子供を連れて近所に散歩に出かけた。 
このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、
その斜面に親戚宅は建てられていた。まわりに家はない。 
正伸さんは朝食前だったので、10分ほどで散歩を切り上げている。
子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。 
家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで、伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している。
伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため、
正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。
この間、40秒ほどである。 
伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、
伸矢くんを見つけることが出来なかった。 
それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることが出来ず、
午前10時に警察に通報した。 

当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。 
貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、
県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員、
その後3ヶ月捜索を続けたが、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。 
ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。
自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。 

・現場は町道の終点付近で、外部からの出入りはほとんどない。
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった。 
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない。
・周辺に交通事故の痕跡はない。

貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と、徹底した周辺捜索を行った。 


230 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/08/05(火) 08:19:19.22 ID:U9QuwHYc0

伸矢くんが失踪し、捜索が行われると同時に、親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけた。 
正伸さん一家が牛久市に帰る前日の16日、一本の奇妙な電話がかかってきた。
正伸さんが電話を取ると、『奥さんはいますか』という。 
語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。 
圭子さんが電話を替わると、その女性は『ナカハラマリコの母親』だと名乗り、
『成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。
 もう帰ってくるんですか?』と尋ねた。 
成蹊幼稚園とは、伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。 
圭子さんは明日帰るという旨を伝えたが、その後ナカハラマリコの母親から連絡はなかった。 

見舞金について、こちらから尋ねることもできず、しばらく黙っていたが、
数日たって幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、
ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。 
後から考えると、正伸さんから電話を替わる時に「誰かわからないけど、徳島弁だよ」と言っており、
茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。 
また、徳島県にいて伸矢くんの幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。 
松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。 


231 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/08/05(火) 08:19:51.01 ID:U9QuwHYc0

13年間50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。 
目撃証言は多くよせられ、信憑性の高いものもあった。それらは全国津々浦々で目撃されていた。 

・91年頃の目撃情報 
「四国霊場88ヶ所の第21番目の『太竜寺』で、白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。 
 子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」
圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。 

・97年OLの「横浜の地下鉄で見た」という目撃情報 
この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、正伸さんに似ていた」と言い、
少年については、
「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。 
心配になったOLは少年に声をかけ、「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。 
OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、
その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。 

・98年中国地方にあるレンタルビデオ店店員の証言 
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、
 『タイタニック』のポスターを買っていった」
少年は店の出入り口付近で、まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に、
『タイタニック』のポストカードを見せ、これでいいの?といった感じで確認した後レジに来た。
応対した店員はすぐに店長に報告、
店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、すでにその姿はなく、警察に通報したという。
その後の手がかりはなし。 

・また、平成元年4月の終わりか5月の終わりに、徳島県海部郡日和佐町の弁天浜の岸壁で、
伸也君によく似た子供を抱いて海を見ていた不審な男性を目撃した、という情報もあった。 
目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、
男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、
その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う。 

日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つ。